1974年、城西高等学校のエース、四番打者として、3年時の夏の甲子園に東東京代表として出場。
1975年、広島東洋カープ にドラフト3位で入団、並外れた練習量で実力をつけた。
1979年に33試合連続安打の日本記録を樹立。この記録は40年以上経った今でも破られていない。
その後ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、阪神タイガースに在籍。
1979年、1980年、1985年と3度の盗塁王獲得。
ベストナイン5回受賞(1978年、1979年1980年、1983年、1986年)
引退後は福岡ダイエーホークス (現福岡ソフトバンクホークス)、オリックス・バファローズのコーチを務めました。
千葉ロッテマリーンズではコーチ、2010年より2軍監督を務め、同年に4年ぶり8度目のイースタン・リーグ優勝とファーム日本一に導きました。
1965年、飯塚商業高校で全国高等学校野球選手権福岡大会決勝で福岡県立三池工業高等学校に破れる。
当時福岡県立三池工業高等学校の監督は現読売ジャイアンツ監督、原辰徳監督の父親である原貢監督だった。
専修大学を卒業後、高校野球の監督に就任。
その後福岡ニュースターズの監督に就任したが、高橋慶彦さんに誘われ飯塚ライジングスターボーイズの監督の就任。
現在も監督として指導を続けています。
2000年にテレビ番組「奇跡体験!アンビリバボー」の企画で高橋慶彦さんが特別コーチとしてガーナで野球のの普及に尽力した際に、沖縄で行われたトライアウトでノッカーとして参加。
その際にロサンゼルス・エンゼルスからノッカーとしてスカウトされたこともあります。
監督を務められている飯塚ライジングスターボーイズは全国大会優勝を何度も果たし、OBは甲子園出場選手や高濱 祐仁選手や浅田 将汰投手といったプロ野球選手を輩出した九州の名門チームです。
福岡市立福岡商業高等学校(現福岡市立福翔高等学校)出身。
春山校長とは師弟関係にあり、サントス(軟式野球チーム)、福岡ニュースターズを春山校長と共に指導されていました。
その後、多くの公立高校の野球指導に長年携わってきました。
今回、『野球が結んだ縁』でオールスターズのコーチとして就任。